ゲンショウシャと松渓山

松渓山焼の登り窯から上がる煙は、天高く消え去り、今は故人・山本梅雄氏が作陶した作品がそのすべてです。

梅雄氏は、その職人人生の中で、「自分の製作したものが有名になることよりも、喜んで使ってもらえるものを作りたい」と話していたそうです。

石見人の気質。

初めて陶主の奥さまと、今は亡き梅雄氏とそのものづくりについてのお話を伺ったときは、なんとも覚束無い気持ちになったことを覚えています。

 

決して豊かではない生活、その苦節、女丈夫に支えられていたと言えようか。総べてを売らばそれはなくなり、しかし置いておくだけでは何も生まれないのではなかろうか。

ゲンショウシャは、山際の一軒家に所狭しと並べられた梅雄氏の作品たちを、一つひとつ撮影し・記録することをはじめました。

奥さまとご子息とで作品を見ながら、それがいつ頃こしらえられて・その時梅雄氏はどんな様子だったのか・どんな思いで了とされたのか、記憶をたどるようにお話を伺います。

合間合間に面白おかしい思い出話が飛び出してきて笑い転げたり、少し一息つこうと梅雄氏の抹茶碗でお茶を立てていただくのです。

 

ゲンショウシャでは、梅雄氏が残された作品の一部を販売しています。

売上は作陶家へ、そして運営費に当てさせていただいて、残りは「継ぐ」ためにとって措きます。

山本梅雄氏の名を残すか、あるいは意思を・思いを、窯を継ぎ残すのか。

道のりは長いでしょうが、少しでも歩みをと、まずはこうしたつながりかたのもとはじめさせていただきました。

ゲンショウシャと、そして松渓山窯を、どうぞよろしくお願い申し上げます。